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福岡高等裁判所 昭和37年(ネ)762号 判決

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、被控訴人から金五〇万円の支払を受けると引換えに、原判決末尾添付目録記載の不動産の所有権移転登記手続きをせよ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、各その一を被控訴人及び控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠関係は、左記のほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する(但し原判決一枚目裏一一行目に「一月二三日家督相続し」とあるは「一月二二日家督相続届出をし」の誤記と認めるから訂正する)。

一、被控訴代理人において、

(一)  仮りに、本件売買契約が締結された当時、訴外亡村田正寿が死亡していたとすれば、本件売買契約は控訴人の当時の後見人であつた訴外亡村田茂野との間で締結されたものであるから、控訴人との間で右契約が有効に成立しているものである。仮りに然らずとするも、被控訴人は本件不動産を昭和二〇年四月一日以降所有の意思をもつて、善意無過失で、平穏且つ公然と占有してきたもので、昭和三〇年三月三一日の経過によりその取得時効が完成していたものである。と述べた。

(立証省略)

二、控訴代理人において、

(一)  被控訴代理人の前記(一)の主張事実をすべて否認する。

(二)  仮りに、本件売買契約が控訴人との間に有効に成立していたとしても、右契約は昭和二〇年三月頃に成立したもので、その後の何人にも予見し得なかつた貨幣価値の著しい変動のあつた現在、右契約をそのまま維持することは、取引上の信義衡平の原則に反するものであるから、事情の変更による解除権が生じたので、控訴人において昭和三八年一〇月三一日の当審口頭弁論期日で右契約を解除する意思表示をした。仮りに、右解除が許されないとしても、前同様信義衡平の原則により本件不動産の現在の価格金六〇万円と右契約価格金一万四、〇〇五円との差額の支払を受けるまで、本件不動産の所有権移転登記義務はない。と述べた。

(立証省略)

理由

控訴人の先代訴外亡村田正寿が昭和二〇年三月二三日死亡し、養子である控訴人が家督相続をし、昭和二一年一月二二日その旨の相続届出をして、本件不動産につき右相続による所有権取得登記手続を了したことは当事者間に争がない。

而して、原審及び当審被控訴本人尋問の結果と原審鑑定人荒牧功の鑑定の結果とにより真正に成立したと認める甲第一号証、原審及び当審証人持永春野の証言により真正に成立したと認める甲第二号証の一、二、同第三号証、原審証人持永春野の証言により真正に成立したと認める甲第五号証の一、二、原審及び当審証人持永春野の証言の一部、当審証人田原秀太郎の証言、原審及び当審被控訴本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められる。被控訴人は戦時中自己の居住家屋が強制疎開にかかり、撤去されることになつたので、その居住家屋を他に物色中、訴外亡村田正寿が戦争の被害をさけて長崎県平戸方面に引揚げるため、その所有の本件不動産を売却処分しようとしているのを聞知し、昭和二〇年三月初頃正寿から本件不動産を代金一万五、〇〇五円で買受ける契約を締結すると共に、右代金内入金として金一、〇〇〇円をすみやかに支払うが、当時正寿が平戸方面へ所要で出掛けることにしていたため、長崎の自宅(本件不動産)へ帰宅してから、その所有権移転登記手続をすることとし、右登記が済み次第残代金を支払う旨の約束をした。そして、被控訴人は同月中旬頃正寿の右自宅を訪れ、正寿が平戸に出張不在であつたが、同人の娘茂野及び春野らを通じ右内入金一、〇〇〇円を支払い、春野作成名義の領収書(甲第一号証)の交付を受け、更に同月末頃正寿の帰宅を尋ねてその自宅を訪れた際、正寿が平戸で死去したことを知つたが、同年四月初頃本件不動産に被控訴人の家族の一部が移住し、ついで同年五月頃被控訴人一家がこれに移住して、茂野及び春野らと同居生活をするようになつたが、その後十日位して茂野及び春野らは平戸に移住するに至つたところ、その後右売買契約について紛議が生じ、被控訴人に対する本件不動産の所有権移転登記が経由されないまま現在に至つた。以上の事実認定に反する原審証人浦田勲(第一、二回)、原審及び当審証人持永春野、当審証人池田藹野の各証言部分は前掲各証拠に比照して未だ措信するに足りない。即ち、右各証人らは、正寿と被控訴人とは終始面接したこともなく、両者間で本件不動産の売買契約を締結した事実がない旨極力証言するけれども、控訴人及び同人の実兄の訴外浦田勲(春野の夫である訴外村田三郎の義兄でもある)らにおいて、被控訴人が本件不動産を引続き占有使用しており、且つ右占有が不当なものであると主張しながら、特段の事情もなく、長年月に亘りこれを放置して、被控訴人より積極的にこれを取りかえそうとした事蹟がなく、却つて前記甲第二号証の一、二、同第三号証によると、春野の夫である訴外村田三郎は少くとも昭和二三年一一月頃まで被控訴人名義に本件不動産の所有権移転登記手続をすることの責任があるものとして、その実現に尽力していたことを窺うに難くないのであつて、右甲号証はもとより、前記甲第一号証、同第五号証の一、二の記載に抵触する前記証人春野の証言は明らかに信憑力に乏しく、また上記事情も勘案するときは、右証人浦田勲同池田藹野の各証言部分も前記認定を左右するに足る反証として採用することは困難であり、また当審控訴本人尋問の結果によつても以上の判断を覆えしえず、他にこれを左右するに足る証拠はない。さすれば、控訴人は冒頭認定の家督相続により、正寿が有していた前記認定にかかる本件不動産の売買契約上の権利義務を承継取得したものであることは明らかである。ところで、被控訴人は右売買代金のうち、更に金四、五〇〇円を支払つた旨主張し、被控訴本人は原審及び当審で右主張に副う如き供述をするが、右供述部分は未だ明確でなく、これを補強すべき領収書なども存しないので、にわかに措信できず、他に右主張を肯認すべき証拠はない。

しかるところ、控訴人は、本件売買契約の成立後、何人にも予見し得なかつた貨幣価値の著しい変動の生じた現在、右契約をそのまま維持することは、取引上の信義衡平の原則に反するものであるから、事情変更による契約解除権が生じたので、当審口頭弁論期日に右契約を解除した。もし解除が許されないときは、右信義衡平の原則よりして、本件不動産の売買残代金一万四、〇〇五円とその現在の価格金六〇万円との差額の支払を受けるまで、本件不動産の所有権移転登記義務がない旨主張するので審案する。なるほど右主張のとおり何人にも予見し難い貨幣価値の著しい変動(減少)の生じていることは公知の事実といえるけれども、右事情だけでは未だ本件売買契約をなした目的が達せられない事態になつているとは解し得ないので、右契約の拘束から当事者を離脱させるための解除権が発生したものとは認め難く、右契約解除の主張は排斥を免れない。しかし、右貨幣価値の著しい変動の結果、現在では右売買契約の本来の法律効果(右売買代金債権)をそのまま維持させることは著しく不衡平となつたものと認められるから、取引上の信義衡平の原則に照し、右売買契約の履行完結をなさしめるためには、その代金債権の金額を適正に増額変更させることが相当であると認める。而して、当審鑑定人今泉金一の鑑定の結果に徴すると、本件不動産の昭和三九年三月現在の時価は合計金九九万六、四八〇円(宅地は金六七万六、四八〇円、家屋は金三二万円)であることが一応認められるが、前記認定の如く被控訴人は右売買契約代金一万五、〇〇五円のうち金一、〇〇〇円は右契約締結の当時既に支払つている上に、被控訴本人の原審及び当審での供述に徴し、被控訴人において、本件不動産の家屋については、原子爆弾による屋根瓦の被害や、白蟻の木材部分に対する侵蝕被害の修理、その他増改築の費用等に数万円に上る出費をしていることも認められるので、これら諸般の事情を斟酌するときは、控訴人の有する右売買代金債権の残債権額を金五〇万円に増額変更するのを相当と認める。従つて、控訴人は被控訴人に対する右金五〇万円の残代金請求権を有するが、その支払と引換えに被控訴人に対し本件不動産の所有権移転登記手続をすべき義務を負うものであることも明らかであるから、被控訴人の本件請求は、その余の争点に対する判断を待たず、右認定の限度でこれを正当として認容すべきであるが、その余の請求は失当として棄却すべきものとする。

よつて、これと異なる原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条を適用して主文のように判決する。

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